宮尾たか志に師事。有名歌手の司会を務め、テレビ界に進出。
数多くのヒット番組の司会及びレポーター、ドラマ、映画にも出演。
TV番組「日本の社長」を通じて、成功の秘訣等の講演会が好評。
鹿児島県薩摩大使。毎日新聞社ビジネスサロン・ジェネラルプロデューサー。
- 本名:
- 山口 進
- 生年月日:
- 1934年3月8日
- 出生地:
- 旧満州(現・中国東北部)生まれ
鹿児島県阿久根市育ち - サイズ:
- 身長176cm、体重75kg、B95cm・W80cm・H95cm、洋服A6・靴26cm
旧満州(現・中国東北部)で生まれ、敗戦後は鹿児島県阿久根市へ引き揚げ、そこで青春時代を過ごす。鹿児島県立阿久根高等学校卒業。
鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)で洋服店を経営していたが(当時は、まだ珍しい月賦販売をしていた)、事業に失敗し倒産。その後、上京してデパートの紳士服売り場に勤め1969年に漫談家の宮尾たか志に師事。
森進一のショーなどで歌手の司会などを務めた後、タレントとしてテレビに進出しバラエティ番組の司会やリポーターなどの仕事を中心に活躍。特にフジテレビ系『スターどっきり(秘)報告』のレポーターとして一気に名を馳せた。
登場する時、顔の前で両手を交差させて、右手の平を右アゴに添えて「……ハイッ!」と叫ぶ決めポーズで一躍有名になる。母親の仕草をモチーフにしたといわれている。
芸能界にデビューしてから永らく、「昭和16年(1941年)生まれ」と年齢をサバ読みしていた。これはデビュー当時、事務所の意向で「昭和ヒト桁生まれでは若々しさがない」と言われたからである。
リポーターを務めたテレビ朝日系『モーニングショー』の人気コーナー「宮尾すすむのああ日本の社長」は、日本各地の会社の社長、すなわち実業家(社長・会長などの経営者・創業者)に密着リポートする長寿シリーズとなった。
上記「ああ日本の社長」のセルフパロディコーナーである「宮尾すすむの社長のお嬢さん」というコーナーを、1990年から1991年にかけて放送されたバラエティ番組『GOB』(日本テレビ)で担当した。
その他、俳優としてテレビドラマや映画、テレビコマーシャルにも出演。テレビ朝日系のクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』の男性チーム解答者としても彼の存在を広く知られた。
1994年夏、全日空の客室乗務員だった妻が47歳で死去後、緊急入院。退院後、正式に自らの生年を1934年と公表。
2011年7月12日、食道癌のため東京都内の病院で死去。77歳没。戒名は「馨光院誠徳進修居士」(けいこういんせいとくしんしゅうこじ)。葬儀・告別式は東京の高野山東京別院で執り行われ、長男の山口雅史が喪主を務めた。祭壇には1994年に死去した妻の遺影と位牌も並べられた。くしくも告別式が行われた7月18日は妻の命日だった。
『スターどっきり(秘)報告』(レポーター)
『象印クイズ ヒントでピント』(解答者)
「ピカイチくん」
「三菱換気扇」
上州屋
お仏壇の「はせがわ」
DDIポケット(現:ウイルコム)
・読んでくれるかな妻への手紙
・父と息子の物語